オギャーと生まれたときから、「学び」は始まっています。
学校に行くようになると、さらに顕著になります。勉強をしなければいけなくなるからです。
子どもが勉強に躓いたとき、また躓かなくても興味が持てないときなど
「なぜ、勉強しないといけないの?」
と聞かれることもあるでしょう。
「社会に出たら、学校で習ったことなんて必要ないじゃん」と言われるかもしれません。
なぜ、勉強しないといけないのか?
タマゴなりの考えをつらつらと述べていきます。
「学び」には2種類あると思っています。
それは、
世の中のことを知る
と
自分のことを知る
です。
「勉強」というと、この「世の中のことを知る」ことに焦点が当たりがちですが、私は「自分のことを知る」ことが何よりも大切だと思っています。
「自分のことを知る」というのは、例えば、好き嫌いであるとか、得意苦手など。
好き嫌いというのは子どものころからあります。それは一見して本人が決めているようですが、実はなぜ好きなのか、なぜ嫌いなのか、それを説明することは難しいですよね。
自分で決めていると思っていても、実は何か見えない力が働いているような?遺伝子??
それは分かりませんが、自分でも自分自身のことを把握していないものなのです。
勉強をするのは、「世の中のことを知る」と同時に「自分のことを知る」側面も持ち合わせています。
そして、自分の能力や特性などは、平均と比べてみなければ何がすぐれていて何が劣っているのかというのは見えてきません。
得意、苦手というのは人と比べたときの評価だからです。
私は現在、フリーランスで働いていますが、会社に勤めていることで得られる制度や利益を盾とするのであれば、フリーランスはいわばその盾がない状態。
武器のみで戦っていかなければなりません。
そこで、自分が何が得意であるのか、何が自分の武器であるかを正確に把握している必要があります。
ここで、なぜ勉強しなければいけないのかに戻ります。
勉強をしなかった場合、それが勉強をしなかったからできなかったのか、自分が苦手(能力的な部分)で出来なかったのかが分からなくなります。
勉強をすればできる、と思っていても実は勉強をしてもできなかった、ということがあり得るのです。
本当は能力的にできないのに、やればできるんだ、と自分の能力を過信している事以上に怖いことはありません。
もし、勉強してもできなかったら、つまりそれは自分の得意分野ではない、武器にはならない、と自分自身のことを知ることが出来ます。
自分のことを知るために勉強をする。
それも大勢と比べることが出来る「学生」という環境で。
そして、それは社会に出てからも役に立つ武器になります。
大人になってから分かることもあります。